未消化の感情を消化するときに大事なこと
本質で生きるためには、幼い頃に感じきることが出来ず蓋をしてしまった、未消化の感情を消化することが必要です。
周りや相手(外側)がどうということではなく、自身(内側)がどう感じているか、観察することが大事です。
そして、ここで大事なポイント❕❕❕
それは、自分自身を「観察」しているつもりが、「責める」行為に切り替わっていないか?ということです。
セッションを受けていただいた方に、「湧いてくる感情を湧くままに、ただ感じて下さい。思考で感情を止めないで下さい。」とお伝えします。
その後、言われたことはやっている。だけど、いつまでも苦しい。何も変わらないという方は、今一度そこを確かめてみて下さい。
自分のこと、責めていませんか?
「自信を持ちたい」思いが強いあまり「自信を持てない」自分を責めていたり
「やりたいことがある」のにそれを「やれていない」自分を責めていたり、等々。
実体験です( ̄▽ ̄;)
私もずっと、ほぼ無意識に自分のことを責めていました………❕❕
学生の頃、ノートにひたすら自己否定の言葉を書き連ねていました。徹底的に自分を責めあげなければ、気が済まなかったのです。何か自分の中で思わしくないことが起こると、頭のなかはノートにそれを書き連ねることだけになってしまい、その瞬間に自分が取り残されていくように感じ、パニックになりました。そしてまたそのようになる自分も責めていました。
昔から、自分の中に生まれる些細な違和感を見逃せませんでした。
内側に気がつき、感じている点に関しては、もとからしてきたのだと思います。それなら、RASセッションを始める前だってもっと解放されていてよかったはずです。
なのに思いだけが空回りし、ほぼ変わりませんでした。何故か?
それは私が湧いてきた感情を拒否して否定し続けてきたからです。
あまりにも変わりたくて、あまりにも自分のことを認めがたくて。
不安が湧く自分はだめで、どう不安を無いものに、感じないように出来るかを試行錯誤していました。
在るものは在るので、無いことにしても繰り返し湧いてきます。その度に動揺し、そんな自分を責めました。
してきたことは、観察ではなく冷ややかな監視で、自分自身を責めるという行為でした。
「ちゃんと未消化の感情を消化しよう」と決意した後でさえ、
いつの間にかただ感じるだけではなく、「あった。まだある」と冷たく監視し、その感情が湧く自分を責めたり、未だ認められない自分があることを責めることに切り替わりました。
これほど明白に自分のことを責めているにも関わらず、全く自覚がありませんでした。
自分を責めるという行為は、思っていた以上に根深い癖となっていたのです。
思考で感情を止めることも、自分を責めることも、
ただ湧く感情を否定しています。
責めることは、感情を感じることを中途半端にし、同じようなことを繰り返してしまいます。
さらに、消化は終わり解放されているのに、もう終わっているのだということに、いつまでも気がつくことが出来ません。
焦る時もあると思うんです。「変化したい」、「この状況をなんとかしたい」とか。
そういう時こそ、責める行為に切り替わりやすい。
すると、先には進みません。
徹底して、どんな自分であっても認める、許す。まずはここからです。
紙に書くのも良いと思います。
「◯◯~でも良い。」
「◯◯~でも良い。」
どんなに受け入れられない自分だって、感情だって何でも書き出してみる。
些細なことですが、感じることを許すことにつながると思います。
とにかく、
責めている自分に気が付いたら、その都度やめましょ!
それでも責めちゃう自分も責めないで下さい。
そこだって、ただ感じていればいいのです。🌸
じっくり今の自分(内側)を感じていれば、そう感じる環境(外側)はやがて必要なくなり、自然と環境は変わっていきます。
あやの